私のベッドルームは最高。イルミネーションやマンダラ柄の布でヒッピー風に飾り付けられ、枕元ににはいい香りのするディプティックのキャンドルやタンのアロマ・ディフューザーなどがたくさん置いてある。壁には好きなMVやナショジオの映像などを小さなプロジェクターでずっと映し続けているし、すぐ手の届くサイドボードには数週間で数冊ずつ入れ替わる文庫本が10冊くらい置いてある。
寝る前の感性というものはランダムなもので、太宰治やS・ミルハウザーからナンシー関まで我ながらコンテクスト不在なチョイスの本が今は並んでいる。さいきん柚木麻子の「ナイルパーチの女子会」をやっと読み終わったから(面白かった、女同士の浅ましいやりとり大好きw)、次は短編集でも読もうかなと思ってクローゼットを漁る。すると一冊のキャンパス・ノートが段ボールの底から出てきて、それが自分が書いたことさえ忘れていた、高校生のころの日記だと気づくのに時間はかからなかった。山田詠美よりも遥かにキツいのが出てきてしまった…。
日付を見ると私が16歳〜18歳くらいまでの時期にその時に思った事を散文的に書いてあって、それが直視できないほどの、荒削りで飾り気のない、とんでもない拙さ。これを書いてる人が大人になって作詞家として生計立ててるとは到底考えられないほどのランダムなポエムが並んでいて、世界寝言大全集ですか?ってかんじ。へたくそなイラストまで添えてある。もうやめて。
ハイティーンの頃の私は、とにかく毎日がとても辛くて、そしてそれを誰にも相談することができなかった。自分の弱みを人に見せる事を恥だと思っていたし、それを人に伝える術や表現力も持ち合わせていなかった。悲しかったり不安な事の処理の仕方がわからなくて、今感じている自分の感情に名前をつけるとしたら一体どんな言葉なのかをこんなふうに書きなぐることで常に探していた。
友人関係に亀裂が入ったとか誰々に無視されるとかスポーツの授業が超イヤだとか(私はテニスとスキー以外は超運動オンチです。運動も嫌いだしついでに体育会系の人も嫌いだし先生と呼ばれる人種もトラウマ)、家族とケンカしたとか勉強ができないとか自分って一体なんなんだろうとか、なんでこんなヘンな顔に生まれてきたんだろうとか。全世界に否定されているような気持ちになって、するとどんどん自分で自分自身を否定するようになって、自己肯定感がますます低くなっていくという悪循環のループから抜け出せない。
私の狭い17歳の世界ではそれらの取るに足らない悩みが、明日の生死を左右するほど重要な問題に思われた。今なら友だちとケンカしたって原因を探しだして解決するだろうし、勉強とかスポーツなんて適当にサボるだろうし笑、苦手な人は避けるし、家族ともうまくやっていく術を身に着けているから、やっぱり自分も何気にちゃんと大人になったんだなあなんて思うけど。
人間って本当バカで、今なら当たり前に出来る事も、初めは出来なかった事をみんな忘れちゃうんだ。あらゆることを初めて肌て感じる17歳には、あらゆることの荷が重くて、つらくて、かなしくて、めんどくさくて、ただただ力なく立ちすくむだけだった。死んだら楽になるかなあとか、明日世界が終わらないかなとか、本当にそんな物騒なことを本気で考えていた。そんな気持ちを誰かとシェア出来る性格だったら良かったんだけど、私はいわゆるコミュ症な17歳だったから(今もそうなんだが)、ただただお腹の奥底でどす黒い感情をグツグツ煮こみ続ける事しか出来なかった。
自分でも忘れていたことだけど、日記を読んでいると「自分はもうダメだ、誰とも仲良くなれないし、誰とも人生の喜びや哀しみをシェア出来ない。ひとりぼっちだ。自分って一体なんだろう、誰にも理解されないし、本当に辛い、消えたい」みたいな事が書いてあって(しかも英語で笑)、うわあ、私にもこんなふうに思ってた時期があったんだなあって、センシティブな17歳の自分にちょっと笑った。今なら「私は消えんぞ、おまえを消す」って書くと思う笑
あと「なんでこんな辛いのか色々考えたけど、"あの事" が全ての元凶だと思う」って何度も数ページにわたって書いてあって、18年後の私にはその「あの事」がなんの事やらさっぱり思い出せない。わざわざもったいぶって、一体何事か。腹立たしさえ覚える。
で、私が何が言いたいかっていうと、今この時期を真っ盛りで過ごしている高校生のみんな、今悩んでる事はすこしずつ自分のちからで解決できるようになっていくし、そんな事があった事さえ忘れちゃうんだから、自分や他人を傷つけちゃだめだよ。大丈夫、あなたらしくいさせてくれる人がこの先きっと現れるから。あなたの素晴らしさは誰にも否定できない。あなたの悲しみや辛さはいつかきっと煙が空気に溶けるように、なくなる。あなたの価値はあなたの命にひもづいていて、それは誰にも奪えないよ。あなた自身からも。
私がこの頃の事で唯一今もちょっと胸が痛むなっていうのは、おばあちゃんが亡くなった事と、友だちが死んじゃった事だけ。それ以外の事はいつのまにか気づいたらどうでも良くなってる。辛くて悲しいことは全部音楽にして吐き出す。不器用ながら身近な人に話したり、こうやってブログに書いたりする。
もちろん、今だって寂しいとか辛いとか思う事ももちろんあるけど、孤独や悲しさとも、だんだんうまく付き合っていけるようになるんだ。寂しくてもいい、つらくてもいい、何かを嫌いでもいい。大丈夫。
「世界は実はすごく広くて、本当は、あなたはすごく自由。」
17歳の自分にいいたい言葉はこれでした。
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2017.08.04 08:10