皆笑った

「だけど恋してるなんて / もう若くないのに / 自分でもおかしいから / すこし笑った」というなつかしい歌がありますが。

年齢を経るごとに感触が変わっていくのは恋愛にかぎらないわけだけど、こと自分にとっての恋愛は「しなければならないもの」という枷(かせ)から「べつにしなくてもよい」みたいな方向性へ年々と解放されているように感じる。

恋愛至上主義という概念は、もともとは封建的な社会からの心的自由を求めたことを背景に持っているはずなのに、なぜか現代では「しなければならないもの」的な同調圧力とか強迫観念みたいな仕上がりになってるの何?ってなる。90〜00年代のトレンディドラマとかもはや狂気の沙汰で、すべての現象が恋愛を前提に存在していて笑う。大映ドラマは許す。

ここ10年くらいやっと性愛の多様性が可視化されたことで、さまざまな人々がそれぞれ作る愛の形みたいなものの存在がすこしずつ見えてきて、あんまり恋愛に対して興味のない自分も別にヘンじゃないじゃん!と勇気づけられる機会も多い(先駆者の方々に感謝)。社会というキャンバスはこんなふうにさまざまな色が共存しているのに、それがあたかも存在しないかのように一色でぞんざいに塗りつぶされてしまっていたりするの何?ってなる。他方で自分も知らないうちに塗りつぶしてる側にいる可能性もなくはなかったりさ。そんな中に「実はいろんな色 / シェードがありました」と、誰かの人権とか生命がおびやかされたり犠牲になってから知っても遅かったりする。

恋愛の話から飛躍しすぎてる気がしますけど(笑)。なもんで @producedbysty を見てもらうとわかるんですけど、私って恋愛の曲をほんの数えるほどしか作ってないんですよね。(ものすごくアンバランスに見えるけど、こういうソングライター / プロデューサーもふつうに存在させてくださいよとひとつお願いしたい所存)

で、自分がアーティスト活動するにあたって今一度フラットに恋愛について考えたとき、もしそこに何か楽しみを見出すとしたらなんだろうか?と思考実験したら(わざわざ考えないと思いつかない)「恋愛そのもの」が楽しいってより「恋愛が始まりそうだな」というワクワク感が楽しいのでは?ってなる。つまり「楽しいこと」そのものを愛するのではなくて「楽しいことが起きるかもしれないという予感」を愛する、みたいな。そんなモヤモヤの中に自分の場合は物語が生まれたりして、曲にしーちゃおってなる。(それがそうならないからあんまり作ってないんだが)

ということでぼんやり作ったのが新曲の「接吻マイハート」になります(宣伝の前置きなげ〜〜)。あんま恋愛興味ない人の恋愛観ってこんな感じとふむふむしていただけると幸いです。iTSでは昨日の5/1から予約購入可となってまして、サブスクはすべてのプラットフォームで5/7から配信開始です。どうぞよろしくおねがいします!(また告知しますね)

※この天才的に激かわオブザイヤーなイラストを描いてくださったのは鮫島さん @the_smzm です。天才。次回作でもかわいいイラスト描いて頂いてるのではやくみんなに見せたい。天才。

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