人生って、失敗するたびに葛藤が生まれ、その葛藤が人生を味わい深くしてくれると思う。そういう苦みがするどい感覚として脳裏に焼き付いて、それが目印のようなマイルストーンになるから、つぎに同じようなシチュエーションに出会ったときの道しるべになったりする。
だから失敗しても何かで悩んでても、しっかりと命を燃やしてさえいれば、それがあなたとってこの世に生きた証になる。成功はポジティブで、失敗はネガティブだというコンテクストだけでははかりしれない情緒が人生にはあると思うし、燃え尽きるその瞬間まで精一杯生きる事のほうがはるかに大切で、だから、失敗も成功も、好きも嫌いも、良いも悪いも、毒も薬も、私にとってはその実、単純に是非を比較できない。むしろべつに一絡げでよかったりする。
さいきん、ある事があって、こういう「きづき」が降りてきた。こいういうスピリチュアルっぽい事はあんまり私は好きじゃないんだけど、何かしら霊的なインスピレーションがふと頭をよぎる瞬間というのは、今日までの毎日を頭のなかで潜在的にアレコレ処理した結果、ある時やにわにそう感じるような感覚に襲われるんだろうなって思うから、スピリチュアルでもなんでもなく、むしろ論理的でさえあるなあって、合点が行った私。
私は何かをつねに思いついたりし続けられないから、ブレストとか会議というのはとても苦手だし、突然制作オファーをもらって楽曲をつくるのも得意ではない。日々の生活の中でいろんなインプットが蓄積されて、数ヶ月に一度、いっぺんに溢れ出る期間が訪れたときに、やっと吐き出せるようになって、そういうときに私の命の燃え殻のようなものが作品として残って、そういう作品は売れたとか売れてないとか関係なく、後から聞いても我ながらお気に入りだったりする。
だから、ペットの猫が死んじゃった悲しい日も、好きなアーティストのライブに行く時間も、一日中バカみたいに飲み歩いてるような日も、大好きなひととケンカしちゃった日も、友だちとヘンなメールをやりとりする毎日も、恋人に会えないやるせない日も、今こうやってベッドに寝転びながらラップトップをお腹に乗せてる時間も、どの瞬間の自分もひとつも無駄が無いし、そのすべての要素が未来に一つづつ紐付いてつながっているなあって感じるから、どんな時間も、実はとても愛おしいんだってきづく。
若いころはこの感覚がよく分からなくて、今の自分が未来につながっている事がまったく理解できなかったし、想像しようとしても無理だった。でも、過去を積み重ねることで分かる時間の連続性は、自分が人生を終えるある日に向かって急速に収束している事を示唆している。それを肌で実感したときに、人はおとなになったと言えるのかもしれないなあ。他人を通して自分を知り、過去を通して未来を意識する。媒介するものを意識する事で、「生きること」はより立体的になっていく。
私のなかの若い人間としての感性はすこしずつ薄れているかもしれないけど、歳を重ねた事によって身につく新しい感性もあって、生きていくってことはほんとうに面白い(興味深い)と感じる。昔は歳をとるのが本当にイヤだったけど、なるほどなあ、人間ってそういうふうにできるんだなあ、って思う事がやっぱり常にあって、そういうステップを一歩ずつ踏みしめていくことは、美しく生きることにつながるから、歳をとるのも悪くないなって、ふときづいたという、ただそれだけのこと。
秋の夜長は毎年こんな事ばっかり考えてしまう私。みなさんのさいきんの「きづき」は何でしたか?
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