3センチぶんのキャンドル

今年は色々とライフスタイルの変化もあって、生活を整える機会がたくさん訪れた一年だった。定期的な運動をしたり、自炊を楽しんだり、部屋をタイディにしたり、生活するという舞台があるとすれば、そのステージを効率よく美しく運営するにはどうしたらよいかみたいな事を常に考えるような一年で、そのプロセスを実際とても楽しんでいる。

逆瀬川から渋谷に引っ越してもう10年が過ぎて、気づけばこの10年の私は、いつのまにか「生活すること」を放棄していた。プロパーで健康的なご飯を食べようと思わなかったし、まったく成果の出ないジム通いをしながら、生活リズムはすぐに昼夜逆転して、家事は苦手だからと挑戦もせず、部屋をきれいに整理するなどもってのほか(整理をしたくないので私の家は極端にものが少ない)。

楽な方へ、心地よい方へと自堕落に流れ続け、こと生活に関してはその丁寧な運営をする事をいつしかやめてしまった。「何もしない」という事がとても魅力的に見え、それがとても格好良く感じられた。下流へ抵抗なく流されていくのは死んだ魚だけである。私はこの10年、死んだ魚だった。それに気づいたとき、私は久しぶりに恥ずかしい気持ちになった。 

衣食住をないがしろにしていても、私は仕事さえきちんとしていれば良いなどと考えていたから、不幸な事にそれを省みるチャンスも出会いも無かった。ではなぜ突然それではダメだと気づいたかというと単純なもので、ダメな自分に飽きてしまったからだ。人間てよく出来ているなあと思うのだけど、どう考えてもおかしい状況の渦中にいる時は、それの何がどういう風におかしいのかというのを理解するのが難しくて、ちょっと時間が経ってから、「あれ、あのときの私おかしかった?」という経験は、誰しも一度はあると思う。

ただその10年間を否定したいかといえば全くそうではなく、やっぱり人っていうのはこのような遠回りを繰り返して少しずつ新しい事を覚えていくんだなあ、うまく出来てるもんだなあと関心する。この年になってもこういう気付きがあるんだから、人生は死ぬまで発見の連続だ。こんな些細な事もきっと今後私が作る音楽に投影されていくんだと思うと、生きることはやめられないね。音楽に落とし込めなくなったら、私はいろんな意味で死ぬのかも。 

だから、今年ホリデーシーズンのロマンチックな時間が、まだキャンドル3センチぶんしかなくても、まだまだ未来は期待できる。みなさまくれぐれも良いお年を。 

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